謡本と檜書店の歴史

檜書店は能楽関連専門の出版社です。観世流宗家、金剛流宗家の謡本の版元、というのが大きな役割です。

京都の山本長兵衛という人が、江戸時代初期に出した観世流の謡本が源流です。いちばん古い奥付は、万治2年(1659年)になっていますから、360年ほど昔です。

檜書店が歩んできた歴史を、謡本うたいぼんの解説とともにご紹介します。

江戸時代の初期(1600〜1650)

檜書店所蔵の謡本(1690年元禄三年) ©大井成義 / the能ドットコム

室町時代(1375〜)足利義満の庇護を受けた世阿弥が大成させた「猿楽」は、以来、武家や公家の娯楽・文化教養として栄えてきました。戦国の世が終わり、徳川の時代になっても、歴代の将軍に愛され続けました。

町人に能のお稽古が流行

能のお稽古は今も昔も能の楽しみ方の一つです。町人の間では習い事としてのうたいが流行しました。うたいの稽古の際に使われたのが現在まで続く「謡本」の始まりです。

木版による商業印刷が京都で始まる

日本の商業出版は、1615年頃に京都で始まりました。檜書店の源流となる謡本が出版されたのもこの頃で、京都の山本長兵衛による観世流の謡本のいちばん古い奥付は、万治2年(1659年)になっています。

当時の謡本は木版印刷でした。版木と呼ばれる木の板に反転した文字を彫り、これに墨をつけて刷る方式です。版木を所有していることが「版権」になりました。

初期の謡本のための版木 檜書店所蔵

幕末(1864年)

初代(橋本常栄)檜木新兵衛孫

文化9年(1812年)生まれ。記録によると常栄は橋本姓とともに、檜木屋の屋号を名乗っていたことが確認されています。橋本家はもともと両替商を営み、仏書を中心とした出版業にも手を広げました。

2代目(橋本常祐)檜常助

2代目 檜常助

天保二年(1831年)渡辺庄右衛の次男として生まれた常祐は、嘉永3年(1850年)橋本常栄の養子となりました。

翌年より三井京店で奉公の日々を送り、その後には暖簾分けを許され、越後屋の屋号を名乗る、れっきとした三井家に連なる商人でした。

元治元年(1864年)、長州藩が京都に攻め上り、薩摩・会津と京都市中で激しい交戦をした、禁門の変(蛤御門の変)が起きます。京都の市中は三日間燃え続けるという「元治の大火」に見舞われ、山本家も巻き込まれます。二条御幸町の店も焼けて、謡本の板木のほとんど全てを、わずか一日で灰にしてしまいました。

慶応元年(1865年)、跡取りのいなかった山本家は、隣家でもあった橋本常祐(後の檜常助)に、元治の大火で焼けた版木の株を買い取ってもらい、慶応2年(1866年)、2人の連名で最初の謡本も刊行しています。その後、山本長兵衛の版権は全て常祐が譲り受け、常祐はその版木を使って二条柳馬西入で出版業を始めました。

明治31年(1898年)

橋本常祐は明治になって屋号を「檜屋」とし、姓名を「檜常助」と名乗ります。常助は金剛謹之輔とも親交を深め、明治31年(1898年)には金剛流謡本も手がけるようになりました。

大正6年(1917年)東京店開店

3代目 檜常之助

この年の3月、観世流宗家が東京に来られるのに伴い、現在地の神田小川町(区画整理前は神田錦町一丁目)に、東京店檜大瓜堂(たいかどう)を開店しました。大瓜堂は大売り堂(おおうりどう)に通じて、縁起の良い名前でした。

昔の神田小川町

昭和3年(1928年)6月

常之助家族団欒の写真 左から常之助妻の千代、常之助、次男英次郎、長男常太郎、長女泰子

昭和3年6月に資本金20万円の合資会社檜書店として、東京店を本店、京都店を出張所としました。

その頃は、道路側前面が店で後ろに住居があり、庭では鶏を飼っていたそうです。夫婦とも京都の出身で、妻の千代さんが几帳面なしっかり者で、陰で夫を支えていました。3代目 檜常之助は、菊づくりをしていた温和な人でした。

昭和15年(1940年)4月

4代目 檜常太郎

観世流大成版謡本を刊行開始したのがこの年です。大成版は、長年の間に差異の生じていた観世流の謡の統一を目標にして、観世流二十四世家元・観世左近元滋が、家元や能楽研究者たちと取り組んだ仕事です。そして現在もこの大成版が使われています。

4代目の檜常太郎は明治42年[1909]生まれです。大学を出てすぐに家業に就き、この謡本の改訂に取り組みました。

その後、第二次大戦で戦地に行き、無事帰ってこれましたが、小川町の店も自宅も空襲によって全て焼け、謡本づくりのために買ってあった貴重な和紙は、3日間燃えくすぶっていたそうです。戦地から帰っても住むところもありませんでしたので、世田谷の叔母の所で間借りをして、暮らしました。その間、洋裁の出来た常太郎の妻、正子が、家計を助けてくれました。

常太郎は店の再建のために全力で取り組みました。京都の店は戦災から逃れたので、バラックを建てて再興を果しました。

昭和37年(1962年)檜ビル新社屋竣工

檜ビル新社屋竣工 左隣に平和総合銀行があった

平成元年(1989年)


5代目 椙杜久子と久子の手がけた能や狂言の入門書ならびにカラーブックス 撮影 ©神田学会

5代目は、少しでも能や狂言のフアンを増やす目的で、主流だった謡本以外の入門書を出版しました。「まんがで楽しむ狂言ベスト70番」を始めカラーブックスのシリーズも作り、檜書店の本が少しずつ一般書店に並ぶようになりました。

平成14年(2002年)株式会社 檜書店に改組

6代目 檜 常正 撮影 ©神田学会

6代目 檜 常正は、約10年間の銀行勤めの後、平成13年(2001)に檜書店に入社しました。

翌 平成14年には、株式会社 檜書店に改組し、現在に至ります。檜書店の店主としての思いは以下をお読みください。

檜書店の思い

平成25年(2013年)5月 檜書店京都店閉店

檜書店京都店

檜書店京都店は、創業の地、二条通麩屋町東入丁子屋町で幕末以来営業を続け、明治の書肆の面影を残す町家の建物と共に親しまれて参りましたが、諸般の事情により平成25年5月末をもって閉店いたしました。

会社概要

代表者
檜 常正(ひのき つねまさ)
資本金
2,000万円
主な出版物
観世流宗家謡本・特製一番本
半紙判(164ミリ×227ミリ)の和綴じ本
金剛流謡本
金剛巌宗家訂正著作の新版の特製一番本、および旧版一番本、あわせて200余点を刊行。
能楽関連図書
能狂言鑑賞のための定番ガイドブック『まんがで楽しむ能・狂言』/カラーグラビアを満載した『能を彩る扇の世界』『能を彩る文様の世界』『心を映す仮面たちの世界』『京都 能と花の旅』『大和路 能とまつりの旅』/『能の鑑賞講座』(全3巻)/『謡蹟めぐり』(全6巻)/謡曲・仕舞のお稽古の参考書『謡稽古の基本知識』『節の精解』『拍子精解』『謡い方講座』『お稽古手帖』『世阿彌』『世阿弥随筆』など能・狂言関連の図書を幅広く多数刊行。
月刊「観世」
昭和14年9月より、観世会に替わって雑誌「観世」(創刊昭和4年)の発行を行う。戦時下の出版事情悪化により一時休刊するが昭和24年9月に復刊。観世流の流儀誌として、能を総合的に研究解明し、能楽界の動勢を伝えて今日にいたる。
稽古用品
扇子・見台などの謡仕舞の稽古用品
音源映像
DVD・CD・カセット・ビデオ、囃子手付 本など
配信商品
音源・映像・電子書籍
所在地
本社店内 本社外観
本社
〒101-0052 東京都千代田区神田小川町2-1
TEL 03-3291-2488
FAX 03-3295-3554
郵便振替 00130-7-388153
営業時間 10:00〜16:00
休日 土、日、祝日
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京都 観世会館売店
〒606-8344 京都市左京区岡崎円勝寺町44
営業時間 金曜日の10時から13時及び能会開催時に営業
TEL 075-754-0754
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